「Youは三重で何してる?〜三重で暮らす外国人に聞く〜Part2神主編」

2019.5.10

「日本のよさ」探し人 堀内みさ

 

三重県では現在、ダイバーシティ社会へ向けたさまざまな取り組みが行われています。ダイバーシティとは、日本語に訳すと多様性。性別や年齢、障害の有無、国籍や文化的背景などにかかわらず、誰もが希望を持って挑戦し、活躍できる社会をめざしています。

三重県のダイバーシティに向けた取り組みの詳細はコチラから
http://www.pref.mie.lg.jp/common/content/000774643.pdf

今回は2回にわたって、三重県内に移住し、さまざまな専門分野で活躍する外国人に、三重での暮らしを取材。Part1では、音楽家、研究者として働く2人を紹介しました。

「Youは三重で何してる?~三重で暮らす外国人に聞く~Part1」はコチラから
https://www.mie30.pref.mie.lg.jp/live/7766

Part2では、三重県津市で奉職する外国人神主のウィルチコ・フローリアンさんにフォーカスします。

 

自分の住む地の歴史を知り、その土地の人になる
神主 ウィルチコ・フローリアンさん

オーストリア出身のウィルチコ・フローリアンさんは、日本で唯一の外国人神主。これまで名古屋や東京の神社で奉職し、2016年に三重県津市にある野邊野(のべの)神社の宮司の娘で、自身も神主の里恵(りえ)さんと結婚。三重県に移住し、現在、同神社の禰宜(ねぎ)を勤めています。

旅が趣味だった両親と、2歳頃から飛行機で世界各地を旅していたというウィルチコさん。日本との最初の出会いは写真集でした。

ウィルチコさん「両親ともに地理の教員で、家には世界地図やさまざまな国の資料がありました。その中にあった日本の写真集を見て不思議な魅力を感じたんです」

やがて地元オーストリアのリンツで武道の稽古に通い始め、14歳のときに日本を初訪問。そのとき購入したのが神棚でした。
ウィルチコさん「日本の信仰とはどんなものか。つまり神道に興味があったのです」
とはいえ、実際に行動しないと身にしみてわからないことは、同じ「道」が付く武道を学んだ経験から感じていたことでした。そこで神様にお供えをしたり、朝夕の挨拶をするように。いつしか自然に神主になりたいと思うようになっていたとか。

◇西欧はキリスト教圏ですよね?
ウィルチコさん「私も祖父母がクリスマスに必ず教会のミサに行くなど、ごく普通にキリスト教の風習の中で育ちました。西欧の宗教はどちらかというと会員制で、宗教Aに属した者は宗教Bに自動的に属せない。つまり組織的だと思うんです。でも、日本はそうではない。洗礼を受けた外国人も神主になれるのです。その点、神道は西欧とまったく違う宗教カテゴリーと言っていいでしょう。そもそも宗教という定義にもあてはまらない気がします」

高校を卒業後、ウィルチコさんは縁のできた名古屋の神社で奉仕しながら、神主の資格を取得。これで晴れて神主になれると思いきや、「1度違った視点から日本を見て、それを役立たせたらどうか」という宮司の勧めで一時母国に戻り、ウィーン大学で日本学を学びます。

そして、卒業後再び日本へ。國學院大学の神道学専攻科で1年学び、東京都渋谷区の金王(こんのう)八幡宮で4年奉仕しているときに、皇居の勤労奉仕でたまたま上京していた奥さまと出会うのです。「野邊野神社の御祭神は品陀和気命(ほんだわけのみこと)、つまり応神天皇の神霊とされる八幡様。妻は、八幡様があなたにここに来てほしかったのだ、と今も冗談っぽく言っています」

 

古文書をひも解き、ローカルな信仰や文化の様子を感じる

「長く続いているものの歴史を知り、それを生かして次の代に伝えていくことが、自分の大きな使命だと思っています。結局それがその家の、土地の人になるということだと思います」と話す、ウィルチコさん。

◇野邊野神社の由来を教えてください。
ウィルチコさん「『野邊野』とは、もとは『のんべの』。つまり『野っぱら』の意味で、かつてこのあたりが真っ平らだったことからそう呼ばれていました。当社は津市久居にありますが、久居の名が付けられるのは、寛文10年(1670)のことです。津藩を支えるための分藩を作る際、“永久に鎮居する”、つまりいつまでも安全な暮らしができるようにという願いを込めて、久居藩となったそうです」

それに伴い、当時は別の場所に御鎮座されていた八幡宮を現在の地に遷し、名前も久居八幡宮に。その後、明治41年(1908年)に久居内の神社23社が合祀(合併されること)された際、土地の旧名にちなんで「野邊野神社」と改称されました。

ウィルチコさん「現在の地は久居の城下町の鬼門に当たります。鬼門はもともと“生(き)の門”と書いたそうで、一番元気な気が入ってくる方位、つまり朝日が最初に差す場所です。昔の人は朝一番の光が、八幡様の力と一緒になって毎朝この町を照らし、それによって永久鎮居の町になるという物語を考えたようです」

◇どういった方法で久居の歴史を調べているのでしょうか?
ウィルチコさん「実は、神社ゆかりの貴重な古文書があるんです。当社の場合はもともと神仏習合で、境内にあった寺が幕末期に焼失。当時の住職が、あとにこの神社の神主を一時務めていました。その方が古文書を持っていらっしゃったのです。古文書を読み、久居の歴史を知ることで、当社が昔からどんな役割を持ち、どういう位置づけをされてきたか見えてきます。歴史的背景を知らないと、今後自分たちが何をすればいいかもよくわからないと思うのです」

さらに古文書からは、三重のごく一部とはいえ、明治以前のローカルな信仰や文化の様子を感じることができるそう。
ウィルチコさん「昔の人の観念や価値観を知るのが面白くてたまりません。当時は生きるのも大変な時代だったと思いますが、だからこそ自分の代だけでなく、家が存続できるよう必死に祈り、強い信仰を持っていたのでしょう」

現在、ウィルチコさんは日々のお勤めに加え、神社のしおりを作成し直したり、150年前の御神札(おふだ)を手作業で復刻するなど、さまざまなことに取り組んでいます。また、神社が創建された寛文10年(1670)から幕末の文久2年(1862)まで、毎年神社や社会で起きた代表的な出来事を1行ずつつづった「年代記」にならい、ウィルチコさんも同じ書式で、文久2年から現在に至るまでの年代記をつづっているところとか。


▲150年前の御神札(左)とウィルチコさんによって復刻された御神札(右)

さらに御鎮座350年にあたる2020年に、社名が野邊野神社から当初の久居八幡宮に改まることから、扁額や社号碑を作り替えるなどの準備も進めています。
ウィルチコさん「『久居』という地名は、先人たちが『永久に無事に暮らせるように』という願いを込めて付けた、このうえなく縁起のよい地名です。旧社名に戻すことは、この地域の発展を願うとともに、長年お祀りしてきた久居の守護神、八幡様が鎮まるという当社の歴史を後世に伝える意味もあるのです」


▲物事の背景や元を大事にしたいとの想いから、社号碑も「cm単位ではなく、元の寸単位で作り替えたい」とウィルチコさん

そんなウィルチコさんに三重の印象を聞いてみました。
ウィルチコさん「以前暮らしていた名古屋や東京に比べ、この地の人たちは、やはりのんびりと穏やかな印象を受けます。また眠っている歴史も魅力です。それをひも解いて生かせれば、さらに多くの方にその魅力が伝わるのではないかと思います」

さまざまなご縁によって久居の地に暮らすウィルチコさん。今後も土地にしっかり根を下ろした歩みを続けていくのでしょう。

(掲載情報は、すべて平成31年3月現在のものです。)

 

<今回の取材先はコチラ>
野邊野神社
住所:三重県津市久居二ノ町1855番地
TEL:059-255-2768
https://www.nobeno.jp/

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